善光寺
概要
宗派を問わず誰でも受け入れてきた無宗派の寺で、本尊の一光三尊阿弥陀如来像は日本最古の仏像と伝えられる絶対秘仏です。誰も実際の姿を見ることができず、七年に一度の御開帳でも公開されるのは分身である前立本尊にとどまります。本堂の床下を漆黒の闇の中で手探りに進み、本尊の真下にあるとされる錠前に触れる「お戒壇巡り」は、極楽往生の約束を得る道として古くから人々を惹きつけてきました。
歴史
善光寺の創建は皇極天皇三年(六四四年)と伝えられ、日本仏教の受容期にまで遡る由緒を持ちます。
【仏教伝来と一光三尊像】
欽明天皇十三年(五五二年)、百済から日本に仏教が公式に伝来した際、その最初の仏像である一光三尊阿弥陀如来像をめぐって、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が対立したと伝えられます。物部氏によって難波の堀江に打ち捨てられたこの像を、信濃国司の従者であった本田善光が見つけ出し、故郷の信濃へ持ち帰って祀ったのが善光寺の始まりとされます。寺名は善光の名に由来します。
【無宗派という性格】
善光寺は特定の宗派に属さず、天台宗の大勧進と浄土宗の大本願という二つの本坊が共同で寺を運営するという、日本の大寺院としては珍しい体制を取っています。開創当初から、宗派の違いを問わず、また身分や性別を問わず、あらゆる人を受け入れてきたとされます。女人禁制が一般的であった時代にも女性の参詣を拒まなかったことは、「女人成仏の寺」として広く知られるようになりました。
【絶対秘仏と御開帳】
本尊の一光三尊阿弥陀如来像は、飛鳥時代以来、住職ですら実際の姿を見ることが許されない絶対秘仏とされています。七年に一度(数え年で七年目ごと)行われる御開帳では、本尊の代わりに分身である前立本尊が本堂に安置され、公開されます。この期間、本堂前には巨大な回向柱が建てられ、柱に結ばれた紐が前立本尊の右手とつながることで、柱に触れた参拝者にも本尊と結縁したのと同じ功徳があるとされます。
【お戒壇巡り】
本堂の床下を、一寸先も見えない完全な暗闇の中で壁伝いに手探りで進む行が「お戒壇巡り」です。本尊の真下にあるとされる「極楽の錠前」に触れることができれば、その本尊と結縁し、極楽往生が約束されると伝えられます。目に頼れない闇の中を進むという体験そのものが、信仰の核心に触れる仕掛けとして今日まで受け継がれています。
【中世から近世の火災(平安時代〜江戸時代)】
善光寺は記録に残るだけで十数回の火災に見舞われてきました。特に大きな被害を受けたのは戦国時代と江戸時代で、そのたびに全国からの寄進によって再建されています。現在の本堂は宝永四年(一七〇七年)の再建で、国宝に指定されています。撞木造と呼ばれる特徴的な屋根の形は、間口よりも奥行きがはるかに長い本堂の構造を象徴しています。
【現代】
江戸時代には「一生に一度は善光寺参り」という言葉が広まり、全国から多くの参詣者を集めました。現在も年間数百万人が訪れ、七年に一度の御開帳の際には特に多くの人出で賑わいます。
💬 コメント
本堂の中は撞木造という珍しい形だそうです。奥行きの長い構造が、外から見た印象とは違う広がりを感じさせます。
御開帳の年に合わせて行きました。回向柱に触れる人の列が長く続いていて、その熱気に圧倒されました。
門前の仲見世通りが賑やかで、そば屋や土産物屋が並んでいます。参拝と町歩きが一体になった場所でした。
本尊が絶対秘仏で誰も見たことがないと聞いて、それでも千四百年信仰され続けているという事実に不思議な感動を覚えました。
早朝のお朝事に参加しました。僧侶の読経を間近で聞ける貴重な機会でした。
宗派を問わないという寺の性格が独特です。仏教のどの宗派の人でも受け入れてきたと聞いて、懐の深さを感じました。
お戒壇巡りに挑戦しました。完全な暗闇の中を手探りで進むのは想像以上に緊張します。錠前に触れられたときはほっとしました。
一生に一度は善光寺参りという言葉の意味が、実際に来てみてよく分かりました。
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