明治神宮
概要
明治天皇と昭憲皇太后を祀り、大正九年(一九二〇年)に創建された神社です。境内七十万平方メートルを覆う深い森は自然林ではなく、全国から献木された約十万本を植えて造られた人工林。百年後、そして永遠に続く天然林となるよう設計されました。初詣の参拝者数は例年日本一を記録します。原宿駅の目の前にありながら、鳥居をくぐると都市の音が届かなくなります。
歴史
明治神宮は大正九年(一九二〇年)十一月一日、明治天皇と昭憲皇太后を祭神として鎮座しました。
【創建の経緯(一九一二年〜一九二〇年)】
明治四十五年(一九一二年)に明治天皇が、大正三年(一九一四年)に昭憲皇太后が崩御すると、両陛下を祀る神社の創建を求める声が国民の間から起こりました。御陵は京都に定められていたため、東京に神社をという運動が広がったのです。鎮座地には代々木の南豊島御料地が選ばれました。造営には全国から十一万人を超える青年団が勤労奉仕として参加しています。
【森を設計する】
最大の特徴は、境内の森が計画的に造成された人工林である点です。当時の首相・大隈重信は日光や伊勢のような荘厳な杉林を望みましたが、林学者の本多静六、本郷高徳、上原敬二らは、東京の土壌と気候では杉は育たないと反対しました。彼らが提案したのは、まず松を主体に植え、その下でヒノキやカシが育ち、やがて常緑広葉樹が優占する天然林へと自ら遷移していく百五十年計画です。第一段階では松が主林木、第四段階では椎・樫・楠の極相林になるという図面が残されています。全国および海外から献木された約十万本、三百六十五種の樹木がこの設計に従って植えられました。
【想定より早い森の成熟】
平成二十三年(二〇一一年)から五年をかけて行われた生物調査では、林相の遷移が当初の計画より早く進み、既に極相に近い状態にあることが確認されました。境内からは絶滅危惧種を含む三千種近い生物が見つかっています。人が植えた森が百年で自立した生態系になった例として、都市林の研究でしばしば参照されます。
【戦災と再建(一九四五年〜一九五八年)】
昭和二十年(一九四五年)四月の空襲により社殿の大半が焼失しました。森は焼け残っています。復興は国費ではなく全国からの寄付によって進められ、昭和三十三年(一九五八年)に社殿が再建されました。
【現代】
初詣の参拝者数は例年三百万人前後で、全国で最多です。境内の清正井、宝物殿、明治神宮ミュージアムなども公開されています。令和二年(二〇二〇年)に鎮座百年を迎えました。
💬 コメント
献木した木の名前が書かれた木碑が並んでいます。全国から十万本集まったという話を実感できました。
初詣に行きましたが、参道が人で埋まっていました。日本一の参拝者数というのも納得の混雑ぶりです。
空襲で社殿が焼けたけれど森は残ったという話を聞いて、木の生命力について考えさせられました。
結婚式の行列に遭遇しました。参道を進む白無垢姿を見られて、思いがけず良いものを見た気分でした。
百五十年計画で森を作ったと知ってから歩くと、木の一本一本の見え方が変わります。今はまだ途中の段階なのだと思うと不思議な気持ちになります。
清正井は今も行列ができています。パワースポットとして有名になる前から静かな井戸だったのでしょうね。
この森が全部人が植えたものだと知って驚きました。百年でここまで自然に見える森ができるとは思いませんでした。
原宿駅を出てすぐなのに、鳥居をくぐった瞬間に街の音が消えます。あの切り替わりが毎回不思議です。
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