金刀比羅宮
概要
「こんぴらさん」の愛称で親しまれる、海上交通と農業の守護神を祀る神社です。象頭山の中腹、本宮までは七百八十五段の石段が続き、さらに奥社まで含めると千三百段を超えます。古くから航海安全の神として全国の船乗りから篤い信仰を集め、江戸時代には「一生に一度はこんぴら参り」と言われるほど庶民の憧れの参詣先でした。石段の両脇には土産物屋が連なり、名物の杖や飴を手に上る参拝者の姿が今も絶えません。
歴史
金刀比羅宮は象頭山に鎮座する古社で、創建の年代は明らかではありませんが、中世以前から海上信仰の霊場として知られていました。
【大物主神と海上信仰】
祭神の大物主神は、国造りの神である大国主神の和魂(にきみたま)とされ、農業と海上安全を司る神として信仰されてきました。瀬戸内海の航路を見渡す象頭山という立地が、古くから船乗りたちの目印であり、心のよりどころともなっていたと考えられます。
【神仏習合と金毘羅信仰(中世〜近世)】
中世以降、この山は仏教の守護神である金毘羅(クンビーラ、ワニを神格化したインド由来の水神)と結びつき、「金毘羅大権現」として信仰されるようになりました。象頭山の松尾寺という寺院の鎮守として金毘羅堂が祀られ、神仏が一体となった独特の信仰形態が江戸時代まで続きます。海上交通の要である瀬戸内海に面していたことから、金毘羅信仰は全国の廻船業者や漁師の間に急速に広まりました。
【江戸のこんぴら参り】
江戸時代、金毘羅参りは伊勢参り、富士参りと並ぶ庶民の代表的な巡礼となりました。四国の奥地にありながら、瀬戸内海の海運を通じて全国からのアクセスが比較的容易であったことも人気を後押しします。「金毘羅船々」の民謡にも歌われるように、船旅と参詣が一体となった娯楽としての性格も持ち合わせていました。飼い主に代わって犬だけが代参する「こんぴら狗」の風習があったことも知られ、首に初穂料を託した袋をかけた犬が、旅人たちに助けられながら参拝を果たしたと伝えられます。
【神仏分離と改称(一八六八年)】
明治の神仏分離令により、それまでの金毘羅大権現は廃され、祭神を大物主神と定めて金刀比羅宮と改称されました。仏教色を排除する過程で松尾寺の仏像や仏具の多くが移転や廃棄を余儀なくされましたが、境内の建造物の多くは神社建築として引き継がれています。
【石段と表書院(近世〜近代)】
本宮までの七百八十五段、奥社までの千三百六十八段という石段は、金刀比羅宮参拝の象徴的な体験として知られます。表書院の襖絵は円山応挙の筆によるもので、国の重要文化財に指定されています。
【現代】
今も海上交通の守護神として、船舶関係者や漁業関係者からの信仰を集めています。石段の参道には杖や飴を売る土産物屋が軒を連ね、「一生に一度はこんぴら参り」という言葉が体現する庶民信仰の賑わいが今日まで受け継がれています。
💬 コメント
表書院の円山応挙の襖絵を見ました。石段を上ってきた疲れを忘れるくらい見事でした。
こんぴら狗の話を知って驚きました。犬だけで代参したという風習が、当時の人々の信仰の篤さを物語っています。
参道の土産物屋で杖と飴を買いました。江戸時代の参拝者もこうして道中を楽しんだのだろうと想像しました。
七百八十五段の石段は思った以上にこたえました。杖を借りて正解でした。
石段の途中に何度も休憩所があり、無理せず登れるよう工夫されていました。段数だけ聞くと身構えますが、実際は思ったより歩きやすかったです。
本宮に着いたときの達成感がすごい。振り返ると讃岐平野が一望できて、上ってきた疲れが吹き飛びました。
船関係の仕事をしている親戚のために御守りを買いました。今も海上安全の神様として信仰されているのを実感します。
奥社まで足を延ばすと千三百段を超えると聞いて、今回は本宮までにしましたが、次は挑戦したいです。
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