四天王寺
してんのうじ
📍 所在地
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
📞 電話
06-6771-0066
🙏 ご本尊・ご祭神
十一面観音菩薩
🏯 宗派
天台宗
概要
推古天皇元年(五九三年)、聖徳太子の発願によって創建された日本最初の官寺です。中門・五重塔・金堂・講堂を南北一直線に配する「四天王寺式伽藍配置」は、日本最古の建築様式として知られます。度重なる焼失を経て現在の伽藍は戦後の再建ですが、創建当初の配置を忠実に守っています。毎月二十一日には大師会の縁日が立ち、境内は多くの露店で賑わいます。
歴史
四天王寺は推古天皇元年(五九三年)、聖徳太子によって建立された日本最古の本格的仏教寺院です。
【創建(五八七年〜六〇〇年頃)】
仏教の受容をめぐる崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋の争いにおいて、蘇我方についた聖徳太子は白膠木で四天王像を刻み、戦に勝利したら四天王を安置する寺を建てると誓願しました。勝利の後、その誓いを果たすために建てられたのが四天王寺です。境内には敬田院・施薬院・療病院・悲田院の四箇院が設けられ、仏法の修行の場であると同時に、医療と福祉を担う施設としての性格を併せ持っていました。
【奈良・平安時代(七一〇年〜一一八五年)】
歴代の天皇や貴族の参詣が絶えず、官寺として手厚い保護を受けました。西門が極楽浄土の東門に通じるという信仰が広まり、彼岸の中日に西門から日想観を修する習慣が生まれます。海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願うこの信仰は、庶民の間に深く浸透しました。
【中世(一一八五年〜一六〇三年)】
たびたび兵火に遭い、そのつど再建が繰り返されました。特に大坂は交通と商業の要衝であったため、戦乱の影響を強く受けています。それでも聖徳太子信仰の中心地としての地位は揺るがず、太子を慕う人々の参詣は絶えることがありませんでした。
【江戸時代(一六〇三年〜一八六八年)】
大坂の町の発展とともに、四天王寺は商人や庶民の信仰を集めます。享和元年(一八〇一年)の落雷など火災は続きましたが、そのたびに町人たちの寄進によって復興されました。毎月二十一日の弘法大師の縁日と二十二日の聖徳太子の縁日には多くの露店が並び、参詣と市が一体となった賑わいが生まれます。この縁日の習慣は今日まで途切れずに続いています。
【戦災と再建(一九三四年〜一九六三年)】
昭和九年(一九三四年)の室戸台風で五重塔が倒壊し、再建されたばかりの昭和二十年(一九四五年)三月、大阪大空襲によって伽藍のほぼ全域が焼失しました。戦後、鉄筋コンクリートによる再建が進められ、昭和三十八年(一九六三年)に中心伽藍が完成します。素材こそ変わりましたが、創建時の絵図に基づいて四天王寺式伽藍配置は忠実に再現されました。
【現代(一九六三年〜)】
現在は和宗の総本山として、宗派を越えて参拝者を受け入れています。五重塔は内部の階段で最上層まで登ることができ、大阪の市街地を一望できます。極楽浄土の庭、宝物館なども公開され、都心にありながら静けさを保つ空間として親しまれています。
💬 コメント
家族の供養に伺いました。ここでは位牌をお納めでき、手続きも分かりやすく、お坊さんが丁寧に説明してくださいました。
今の建物は戦後の再建です。一九四五年の空襲でほとんど焼けてしまい、鉄筋になりましたが、形は古図に沿って復元されています。
五重塔は中に登れます。寺院では珍しいことです。上からは大阪の街並みが見えて、古いものと新しいものが重なって見えました。
毎月二十一日は大師会の縁日で、境内一面に露店が並びます。骨董から古着、食べ物まであって、普段の静けさとは別の顔になります。
極楽浄土の庭は別料金ですが、行く価値があります。夏の蓮の時期でも人はそれほど多くありません。
伽藍配置は中門から五重塔、金堂、講堂まで南北一直線で、完全な左右対称です。この形式は今の日本ではあまり残っていません。
聖徳太子が五九三年に建てた、日本最古の官寺の一つです。中心伽藍に立つと、日本仏教の出発点に立っているのだと実感します。
大阪の真ん中で、地下鉄を降りてすぐです。周りはビルばかりなのに、門をくぐると急に静かになる。その落差が印象的でした。
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