建長寺
概要
建長五年(一二五三年)、北条時頼が中国からの渡来僧・蘭渓道隆を開山に迎えて建てた、日本最初の本格的な禅寺です。鎌倉五山の第一位。総門から三門、仏殿、法堂が一直線に並ぶ中国式の伽藍配置をそのまま持ち込みました。境内の柏槇は蘭渓道隆が植えたと伝わり、樹齢七百六十年を超えます。けんちん汁の名はこの寺に由来するという説があります。
歴史
建長寺は建長五年(一二五三年)、鎌倉幕府五代執権・北条時頼によって創建されました。
【日本最初の禅専門道場(一二五三年)】
それまでの日本の寺院は、禅を天台や真言と併修するのが通例でした。時頼は南宋から渡来した蘭渓道隆を開山に招き、禅だけを修める中国式の道場として建長寺を開きます。伽藍配置も、総門・三門・仏殿・法堂・方丈を南北一直線に並べる中国の禅宗様式をそのまま導入しました。修行の作法から食事、言葉遣いに至るまで宋の禅林の規則が持ち込まれ、日本の禅はここから始まったとされます。
【蘭渓道隆という人物】
渡来したのは三十三歳のときでした。異国で言葉も通じないなか、厳格な規則で修行僧を育て、多くの弟子を輩出しています。晩年には元との内通を疑われて甲斐や奥州へ二度も流されるという不遇にも遭いました。境内の柏槇七本は道隆が宋から持参した種を播いたものと伝えられ、うち数本が今も生きています。
【鎌倉五山第一位(一三八六年)】
至徳三年(一三八六年)、足利義満が五山の制度を定めた際、建長寺は鎌倉五山の第一位に列せられました。最盛期には塔頭四十九院、修行僧千人を数えたと伝えられます。
【度重なる火災(一三一五年〜一八一五年)】
正和四年(一三一五年)の火災を皮切りに、建長寺は幾度も伽藍を失いました。応永・永正・文化年間にも大火があり、創建当時の建物は残っていません。現在の仏殿は正保四年(一六四七年)、東京の増上寺から徳川秀忠夫人の霊屋を移築したもので、唐門も同じ由来を持ちます。禅寺の仏殿が将軍家の霊廟建築であるという取り合わせは、江戸期の寺院経済の実情を映しています。
【けんちん汁】
建長寺の修行僧が作った「建長汁」がなまってけんちん汁になったという説が広く語られます。豆腐を崩して野菜と炒め煮にする作り方は、食材を無駄にしない禅の精進料理の考え方に沿ったものです。ただし語源については異説もあり、確定していません。
【現代】
現在も臨済宗建長寺派の大本山として、修行道場が置かれています。境内奥の半僧坊まで石段を上ると、鎌倉の街と相模湾、天気が良ければ富士山まで見渡せます。
💬 コメント
仏殿は増上寺から移築されたものだと知って驚きました。将軍家の霊廟建築が禅寺の仏殿になっているという経緯が面白い。
総門から仏殿、法堂まで一直線に伽藍が並んでいて、中国式の配置だと聞いて納得しました。日本の寺とは違う整然とした印象です。
柏槇の巨木が境内にそびえています。蘭渓道隆が宋から持ってきた種から育ったと知ると、七百六十年という時間の重みを感じます。
けんちん汁の名前の由来がこの寺だという説を知ってから、精進料理をいただきました。豆腐と野菜だけなのに満足感がありました。
北鎌倉の駅から歩いて向かいました。円覚寺と合わせて回る人が多いようで、静かな散策コースです。
法堂の天井の雲龍図を見上げました。かなり大きく描かれていて、しばらく見入ってしまいました。
半僧坊まで石段を上ると、鎌倉の街並みと相模湾が見渡せます。天気が良ければ富士山も見えるそうで、少し曇っていて残念でした。
禅の修行道場が今も現役だと聞いて、観光地というより生きている寺なのだと感じました。
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