厳島神社
いつくしまじんじゃ
概要
広島県宮島に鎮座し、海上に社殿を構える類例のない神社です。満潮時には社殿と大鳥居が海に浮かんでいるように見え、干潮時には鳥居の足元まで歩いて行けます。朱塗りの回廊で結ばれた社殿群は平安時代の寝殿造の様式を伝え、日本三景の一つに数えられます。世界文化遺産に登録されており、宮島全体が古くから神域とされてきました。
歴史
厳島神社の創建は推古天皇元年(五九三年)と伝えられ、島そのものを神とする信仰に始まります。
【鎮座(五九三年〜八〇〇年頃)】
社伝によれば、佐伯鞍職が神託を受けて社殿を建てたのが始まりとされます。宮島は島全体が神の宿る場所と考えられ、人が島内に住むことも憚られたため、社殿は陸地を避けて海上に建てられたと伝えられます。海に鳥居を立て、潮の満ち引きとともに姿を変えるという設計は、この禁忌から生まれたものです。
【平清盛による造営(一一六八年)】
仁安三年(一一六八年)、安芸守を務めた平清盛が現在に伝わる社殿を造営しました。平家の氏神として厚く崇敬し、一族の繁栄を祈願して『平家納経』三十三巻を奉納しています。寝殿造の様式を神社建築に取り入れ、本社と客神社を回廊で結ぶ壮麗な構成は、この時の造営によるものです。平家の隆盛とともに厳島の名は都にも広く知られるようになりました。
【中世(一一八五年〜一六〇三年)】
平家滅亡後も瀬戸内海の要衝として、また航海の守り神として信仰は続きました。戦国期には毛利元就が厳島の戦い(一五五五年)でこの島を舞台に陶晴賢を破り、勝利の後に社殿の大規模な修造を行っています。豊臣秀吉も千畳閣(豊国神社)の造営を命じましたが、秀吉の死により未完のまま今日に至ります。
【江戸時代(一六〇三年〜一八六八年)】
泰平の世となり、厳島は「安芸の宮島」として全国的な観光地となりました。伊勢参りや金毘羅参りと並ぶ人気の参詣地となり、門前には旅籠や土産物屋が立ち並びます。この時期に多くの紀行文や浮世絵に描かれ、松島・天橋立とともに日本三景として広く知られるようになりました。
【近代から現代(一八六八年〜)】
明治八年(一八七五年)、現在の大鳥居が再建されました。八代目にあたるこの鳥居は高さ約十六メートル、主柱には樹齢五百年を超えるクスノキが用いられ、地中に埋めることなく自らの重みだけで立っています。昭和二十年(一九四五年)の原爆投下では対岸の広島市が壊滅しましたが、宮島は山に遮られて被害を免れました。平成八年(一九九六年)に世界文化遺産に登録。令和元年(二〇一九年)から約三年半にわたって大鳥居の大規模な保存修理が行われ、令和四年(二〇二二年)末に往時の姿を取り戻しています。
💬 コメント
島にも鹿がいます。奈良より少しおとなしいですが、地図を持って歩いていると狙われるので気をつけてください。
満潮時は社殿全体が海に浮かんでいるように見え、干潮になると大鳥居の足元まで歩いて行けます。潮見表を調べて、両方の姿を見るのがおすすめです。
干潮に当たったので鳥居の真下まで歩きました。近くで見ると付着した貝や木目まで見えて、その大きさを実感します。
日没後にライトアップされた大鳥居は昼とまったく違い、橙色の光が海面に伸びていました。これを見るために一泊した甲斐がありました。
宮島へ渡るフェリーから海中の大鳥居が見えた瞬間、なぜここが日本三景と呼ばれるのか分かった気がしました。
五月に訪れました。人もそれほど多くなく、海風が心地よくて、回廊にずいぶん長く座っていました。
回廊の床板には隙間があって、満潮時には下を海水が通ります。歩いていると水の音が聞こえてきて、不思議な体験でした。
大鳥居は楠の重さだけで海底に立っていて、杭は打っていないそうです。それを知ってから見上げると、信じられない気持ちになります。
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