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伏見稲荷大社

ふしみいなりたいしゃ

4.5 (10 件の評価)
伏見稲荷大社

📍 所在地

京都府京都市伏見区深草薮之内町68

📞 電話

075-641-7331

🌐 公式サイト

https://inari.jp/

🙏 ご本尊・ご祭神

お稲荷さん(宇迦之御魂神)

🏯 宗派

稲荷信仰

🧎 宮司

舟橋 雅美

概要

全国に約三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮で、和銅四年(七一一年)の創建と伝わります。商売繁盛・五穀豊穣の神として篤く信仰され、祈願成就のお礼に奉納された鳥居が稲荷山全体を朱色に染めています。参道の千本鳥居を抜けて山頂まで巡る「お山めぐり」は往復二時間ほど。神使である狐の像が境内の随所に置かれ、それぞれ鍵や稲穂をくわえています。

歴史

伏見稲荷大社の創建は和銅四年(七一一年)と伝えられ、一三〇〇年を超える歴史を持つ、全国の稲荷神社の総本宮です。

【鎮座(七一一年〜八〇〇年頃)】

『山城国風土記』逸文によれば、渡来系氏族である秦氏の秦伊呂具が餅を的にして矢を射たところ、その餅が白鳥となって飛び立ち、降り立った山の峰に稲が生じたため、そこに社を建てて「伊奈利」と名付けたと伝えられます。稲作の実りを祈る素朴な信仰から始まり、当初は稲荷山の三ケ峰に神が祀られる形でした。秦氏は土木や養蚕の技術を伝えた氏族で、その経済力が稲荷信仰の広がりを支えることになります。

【平安時代(七九四年〜一一八五年)】

平安京への遷都以降、稲荷社は急速に地位を高めます。東寺の建立にあたって稲荷山の木材が用いられた縁から真言密教と結びつき、稲荷神は東寺の鎮守として位置づけられました。天慶五年(九四二年)には最高位の正一位を授けられます。この頃から信仰は農業だけでなく商業や工業へと広がり、都の人々にとって現世利益を願う身近な神となっていきました。

【中世(一一八五年〜一六〇三年)】

稲荷信仰は全国へ波及し、各地に分社が勧請されていきます。応仁の乱では戦火のなかで社殿が焼失しましたが、明応八年(一四九九年)に本殿が再建され、これが現在の本殿として残っています。この時代、祈願が叶ったお礼として鳥居を奉納する習わしが定着し始めました。一基また一基と重ねられた奉納の積み重ねが、後の千本鳥居へとつながっていきます。

【江戸時代(一六〇三年〜一八六八年)】

商業の発達とともに、稲荷信仰は商人や職人の間で爆発的に広まりました。「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われるほど江戸の町には稲荷社が溢れ、その総本宮である伏見には全国から参詣者が集まります。年の最初の午の日に行われる初午大祭には数十万人が訪れました。鳥居の奉納が最も盛んになったのもこの時期で、参道を埋め尽くす朱色の回廊が形づくられていきます。鳥居の背面には奉納者の屋号と年月が刻まれ、商人たちの祈りの記録となっています。

【近代から現代(一八六八年〜)】

明治四年(一八七一年)に官幣大社に列格し、社名を伏見稲荷大社と改めました。第二次大戦の戦火を免れ、社殿群は良好な状態で今日に伝わっています。近年は千本鳥居の景観が海外に広く知られるようになり、外国人観光客に最も人気のある日本の観光地に選ばれることもたびたびです。現在も年間を通じて多くの参拝者が訪れ、稲荷山には約一万基の鳥居が立ち並んでいます。

💬 コメント

村上美香2026/4/14

奥社のおもかる石を持ち上げてみたら、思ったより軽く感じました。願いが叶うという言い伝えですが、信じる信じないは別として、気持ちは軽くなります。

近藤あかり2026/4/10

鳥居の裏側には奉納した人の名前と年が刻まれていて、多くは商店の名前です。歩きながら読んでいくと、商人たちの祈りの記録を辿っているようでした。

坂本友美2025/10/31

狐は稲荷神のお使いで、くわえているものが鍵だったり稲穂だったりと像ごとに違います。見比べて歩くのも楽しいです。

田中恵子2025/4/19

山道は思ったより急でした。革靴で行って後悔したので、山頂を目指す方はぜひ運動靴で。

福田陽子2024/2/25

夕方五時を過ぎてから訪れました。観光客が引いて、鳥居の中に灯りがともります。少し暗いですが、雰囲気はまったく別物です。

藤田知子2024/2/3

麓の鳥居だけ撮って帰る人が多いのですが、本当は上まで登ってこそだと思います。山頂まで往復二時間ほど、途中はほとんど人がいません。

青木由美2024/1/21

小さな商売をしています。商売繁盛を願って昨年参拝し、今年は実際に上向いたのでお礼参りに来ました。

長谷川達也2023/11/15

千本鳥居の中に入ると、光が朱色に染まって、あたり全体が橙色になります。あの瞬間は自然と静かな気持ちになりました。

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