ログイン

熱田神宮

4.4 (10 件の評価)
熱田神宮

概要

三種の神器の一つ、草薙神剣を祀る神社です。景行天皇四十三年、日本武尊の妃・宮簀媛命が剣をこの地に祀ったことに始まると伝えられます。伊勢神宮に次ぐ格式を持つとされ、地元では「熱田さん」と親しみを込めて呼ばれます。境内には樹齢千年を超えるという大楠が茂り、織田信長が桶狭間の戦いの前に必勝を祈願し、勝利の礼として塀を寄進したという逸話でも知られます。

歴史

熱田神宮は景行天皇の御代、日本武尊の妃・宮簀媛命によって草薙神剣が祀られたことに始まると伝えられます。

【草薙神剣と日本武尊】

草薙神剣は、須佐之男命が八岐大蛇を退治した際にその尾から得たとされる三種の神器の一つです。日本武尊は東国遠征の途上、駿河国で野火に襲われた際、この剣で周囲の草を薙ぎ払って難を逃れたと『古事記』は伝えます。「草薙」の名はこの故事に由来します。遠征を終えた日本武尊は尾張国の宮簀媛命のもとに剣を留め置いたまま伊吹山の神を討ちに向かい、その山中で病を得て亡くなりました。剣を持ち帰ることのできなかった尊の遺志を継ぎ、宮簀媛命がこの地に社を建てて剣を祀ったのが熱田神宮の起源とされます。

【三種の神器としての格式】

草薙神剣は八咫鏡、八尺瓊勾玉とともに皇位の証とされる三種の神器の一つです。このうち鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮に祀られ、勾玉は皇居に安置されています。日本の神社のなかでも、三種の神器の一つを祀るという点で、熱田神宮は伊勢神宮に次ぐ特別な格式を古くから認められてきました。

【壇ノ浦での剣の喪失(一一八五年)】

草薙神剣は歴代天皇に伝えられてきましたが、元暦二年(一一八五年)の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇とともに海に沈んだとされます。以後、宮中では形代(レプリカ)が祭祀に用いられており、熱田神宮に祀られる剣そのものの所在については、様々な伝承と議論が今日まで続いています。

【信長と桶狭間の戦い(一五六〇年)】

永禄三年(一五六〇年)、今川義元の大軍を前にした織田信長は、桶狭間へ向かう途上で熱田神宮に立ち寄り、戦勝を祈願したと伝えられます。奇跡的な勝利を収めた信長は、その礼として熱田神宮に築地塀を寄進しました。「信長塀」と呼ばれるこの塀は、京都三十三間堂の太閤塀、兵庫西宮神社の大練塀とあわせて日本三大土塀の一つに数えられ、今も境内に残っています。

【中世から近世(一一八五年〜一八六八年)】

源頼朝は熱田神宮の大宮司家の出身である母を持ち、篤く当社を崇敬しました。江戸時代には東海道の宮宿(熱田宿)に位置したことから、伊勢参りや旅の道中に参拝する人々で賑わいました。

【近代から現代(一八六八年〜)】

明治以降、伊勢神宮に次ぐ格式の神社として位置づけられました。境内の大楠は弘法大師の手植えと伝えられ、樹齢は千年を超えるとされます。名古屋の中心部にありながら鬱蒼とした森を保つ境内は、都市の中の聖域として今も多くの参拝者を集めています。

💬 コメント

渡辺友香2025/12/25

信長塀の話を知ってから見ると、ただの塀ではなく桶狭間の戦勝への感謝の証だと思うと重みが違います。

鈴木美咲2025/5/17

三種の神器の一つを祀っていると聞いて、伊勢神宮に次ぐ格式だという説明にも納得しました。

吉田浩一2024/11/16

地元では「熱田さん」と呼ばれているそうです。親しみを込めた呼び方に、地域との結びつきの深さを感じます。

高橋さくら2024/11/3

大楠の存在感がすごい。樹齢千年を超えると聞いて、しばらく見上げていました。

山田拓真2024/8/5

きしめんを食べてから参拝しました。神宮のすぐそばに名物のお店が並んでいて、名古屋らしい参拝コースでした。

加藤翔太2024/7/31

剣が壇ノ浦で失われたという伝承を知ってから、三種の神器の複雑な歴史に興味を持ちました。

中村隆司2023/10/10

熱田神宮の中は思ったより静かで、名古屋駅からすぐとは思えないほど落ち着いた雰囲気でした。

山本浩二2023/10/8

熱田神宮公園と一体になっていて、名古屋の中心部にこれだけの森があることに驚きました。

ログインするとコメントできます