清水寺
きよみずでら
📍 Address
京都府京都市東山区1-1 清水
📞 Phone
075-1711-2211
🌐 Website
https://www.kiyomizudera.or.jp/🙏 Principal deity
十一面観音菩薩
🏯 Denomination
北法相宗
About
京都東山の中腹に建つ、開創から一二〇〇年を超える観音霊場です。崖からせり出した「清水の舞台」は釘を一本も使わない懸造りで、そこから望む京都の街並みは四季ごとに表情を変えます。本尊は十一面千手観音。寺名の由来となった音羽の滝は今も涸れることなく流れ続け、参拝者が列をなして手を合わせます。世界文化遺産に登録され、年間数百万人が訪れる京都随一の名刹です。
History
清水寺の開創は宝亀九年(七七八年)と伝えられ、一二〇〇年以上の歴史を持ちます。寺名は、今も湧き続ける音羽の滝の清らかな水に由来します。
【開創(七七八年〜八〇〇年頃)】
奈良で修行していた僧・賢心(後の延鎮上人)が夢のお告げに従って北へ向かい、音羽山中で清らかな滝を見出したことに始まります。その地で修行していた行叡居士から霊木を託され、千手観音像を刻んで草庵に祀りました。数年後、鹿を求めてこの山に入った坂上田村麻呂が賢心と出会い、殺生を戒める教えに深く感じ入って、自邸を仏殿として寄進します。武人と修行僧の出会いから始まったという成り立ちは、清水寺が身分を問わず人を受け入れてきた性格をよく表しています。
【平安時代(七九四年〜一一八五年)】
平安京の造営とともに、清水寺は都の人々にとって最も身近な観音霊場となりました。貴族から庶民まで幅広い層が参詣し、『枕草子』や『源氏物語』にもその賑わいが描かれています。一方でこの時期は南都の興福寺との対立が激しく、清水寺は延暦寺と興福寺の抗争に幾度も巻き込まれ、伽藍が焼き払われることもありました。それでも参詣の流れが絶えることはなく、観音信仰は都の生活に深く根を下ろしていきます。
【鎌倉・室町時代(一一八五年〜一五六八年)】
武家の時代に入っても清水寺への信仰は衰えませんでした。諸国から巡礼者が集まり、西国三十三所観音霊場の第十六番札所として位置づけられます。「清水の舞台から飛び降りる」という言葉が生まれたのもこの流れの延長で、江戸期には願掛けのために実際に飛び降りる者が相次いだ記録が残っています。応仁の乱をはじめとする戦火により伽藍は度々焼失しましたが、そのたびに人々の寄進によって再建されました。
【江戸時代(一六〇三年〜一八六八年)】
寛永六年(一六二九年)の大火で伽藍の大半を失いますが、三代将軍徳川家光の寄進により寛永十年(一六三三年)に再建されます。現在の本堂と舞台はこのときのもので、四十本を超える欅の柱を組み上げ、釘を使わずに崖からせり出させた懸造りの構造は、当時の建築技術の到達点を示しています。泰平の世が続いたこの時代、清水寺は参詣と行楽を兼ねた場として賑わい、門前には土産物屋や茶店が軒を連ねるようになりました。
【近代から現代(一八六八年〜)】
明治の神仏分離令により地主神社が分離されるなど制度上の変化を受けましたが、伽藍は保存されました。昭和四十年(一九六五年)には法相宗から独立して北法相宗を開き、今日に至ります。平成六年(一九九四年)に「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されました。平成二十年(二〇〇八年)から始まった「平成の大修理」では、本堂の檜皮葺屋根の葺き替えをはじめとする大規模な修復が段階的に進められ、令和三年(二〇二一年)に完了しています。
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